世界には様々な伝統的な教えいわゆる宗教、宗派が存在します。それは人間向上、悟りを目指す上では同じですが、その高みへアタックする方法ルートが違います。他の宗教等を批判し、争うことは、おかしな話であり愚かな行為です。人はそれぞれに合った道でこそ本当の幸せを得られるのであって、宗教や宗派の多様性、もしくはそれぞれが持って生まれた宗教を大切にする事は極めて重要な事です。ここ光明山聖法院は、真言密教の教えと当山派修験の教えを継承するだけでなく、書物だけでは伝えることが出来ない教えも伝えています。

聖法院の特徴

  • *宗旨、宗派を超越して導き、供養、祈願出来る。それは、本堂に日本の仏教各宗派のご本尊である大日如来さま、お釈迦さま、阿弥陀如来さまをお祀りしているから。
  • *悩み事の答えや御先祖様からのメッセージを直接伝える事が出来る。
  • *仏教の教えを現代の言葉でご神仏より教えて頂ける。

仏教とは

 誰でも経済面・健康・人間関係に恵まれるのは楽しく幸せな事ですが、この世だけでなく永遠に続く幸せを得るための教えが仏教です。仏教は、大きく小乗仏教と大乗仏教にわかれます。

 小乗仏教とは、自身の永遠の幸せ(涅槃)を得るための教えを指します。自利を求め、阿羅漢(羅漢)になり、「灰身滅智」(身を灰にし、智慧を滅して、すっかり何もなくしてしまう。という事を理想としています。修行としては、三十七菩提覚支が中心です。

 大乗仏教とは、自分自身が幸せになる小乗仏教の教えだけでなく、他人をも幸せにする道、仏になるための教えを指し、顕教と密教とに分かれます。自利とともに利他を目的とする。顕教の修行は、三十七菩提覚支の他、六波羅蜜などの菩薩行を行います。密教の修行はその上に御神仏を観想するといった秘密の修行を行いますが、どちらも大慈悲の心からの修行が中心です。

聖法院の役割

 聖法院では、人の一生の行事に対して、指導、助言し、一人一人の一番良い人生を最短距離で指導いたします。人の一生はその選択や考え方次第で良くも悪くもなります。そのため、聖法院では人生の様々な局面でのお力添えをさせていただいております。

1. 受胎前 (子宝成就の祈願) 少しでも良い子を授かる様に願う。
2. 受胎 (安産成就の祈願) 母子共に健康で出産出来る様に願う。
3. 出産 (命名) 生まれた子供に運勢の良い名前を付ける。
4. 宮参り、 元気に育つ様に願う。
七五三参り
5. 進学 (入試合格の祈願) 文殊の智慧で知られる文殊菩薩様に願う。進路の決定と合格祈願。
6. 就職 (就職成就の祈願) 文殊の智慧で知られる文殊菩薩様に願う。進路の決定と合格祈願。
7. 婚前 (良縁成就の祈願) 悪い縁は離婚をしてでも絶ち、最終的に一番良い縁を願う。
8. 結婚 (仏前結婚式) 御神仏の前で本来の作法に則り行う正式なものです。
 受胎前 (子宝成就の祈願)
 受胎 (安産成就の祈願)
 出産 (命名)
9. 人生相談 (諸問題の解決) 色々な悩み事を御神仏に判断して頂く。
10. 日常祈願 一生を通して願う身体健康、交通安全などの祈願。
11. 厄除け (厄除け祈願) 昔から言われる厄年、その大難を小難に小難を無難にして頂く。
12. 加持祈祷 体の弱い方は御神仏のお加持の力による病気回復、身体健康の祈祷。
13. 結婚25年 (仏前銀婚式) 長年連れ添ってきた夫婦の絆を尚いっそう深める事を、御神仏の前で誓う。
結婚50年 (仏前金婚式)
14. 永眠 (葬儀) 人生の最後を飾る儀式であり、一番肝要な事はあの世に引導を渡す事です。残念ながら日々修行を怠っている姿形だけの僧侶が多く、従って霊界に引導を渡すなど到底出来ないのです。その点、霊界には勿論の事、神仏の世界にも通じている聖法院で引導を渡すと言う事は、一早くあの世での安定した自分の座る場所を確保できるという事です。間違いなく、迷わず送ることが出来ます。
15. 先祖供養 宗派を問わず、どの宗派の方でも、その宗派により供養致します。残された人間にとって先祖供養は大切な事であり、先祖供養を続ける事により運勢も大きく開かれるのです。
16. お墓や仏壇が正しく祀られていない為に病気になったり、不幸を招いたりする事は少なくありません。現在では先祖霊の祀り方を正しく教えられるお寺はほとんどない状況です。絶対的に正しい事を聖法院でお尋ね下さい。

聖法院のご真言の功徳

 「ご真言」とは、高いレベルに達している方が作ることが出来る、ご神仏へ働きかける力のあるお言葉の事です。ここ光明山聖法院では、弘法大師・空海さまから特別に授かったご真言である「南無尊帝そわか」をお唱えしております。

  • 「南無」(ナム)・・帰依します
  • 「尊」(ソン)・・・尊ぶべき御方
  • 「帝」(テイ)・・・最高の方であるご神仏
  • 「そわか」・・・・・すべてをご神仏に委ねます

 つまり、「もっとも尊い最高の方であるご神仏に帰依し、全てを委ねます」という意味です。

このご真言をお唱えする事により、過去の罪過を滅するだけでなく、福に転じるという功徳があります。また、その光は地獄にいるご先祖様にまでおよび、仏の世界へと導く事ができます。また苦しみの恐れのある時に、心からこのご真言をお唱えする事で、幸せな世界へと縁をつなぎ、苦を楽に転ずるという功徳があります。「人事尽くして天命を待つ」のお気持ちで、ぜひ「南無尊帝そわか」をお唱えください。

光明山聖法院のマーク

 「聖法」の「聖」は聖天さまの聖、「法」は弘法大師さまの法ですが、その聖天さまの「大根」とお大師さま「五鈷杵」とが合体しているのがこのお寺のマークです。大根の「根」は物事の根源を表し、私達の怒りや煩悩、愚かさの根を断ち切っていただくようにとご神仏にお願いするだけでなく、自身も心から根気よく信仰を続けることを約束するといった意味があります。ご神仏が無限の力を持っておられるように、己の中にも仏を見るなら、そこには無限の可能性が広がっています。同じように生あるものの中に仏を見るなら、そこには豊饒な世界がある事でしょう。それを知る手助けが信仰であり、そのために様々な教えが世界にはあります。己の中の仏を尊び、他の中の仏を尊ぶ。そして日々ご縁を大切にし、努力し感謝して生きることが、翻って自分の幸せに必ずつながるのです。

太陽への道  功徳貯蓄表について

 私達は日々ご神仏より慈悲の光を受けていますが、それをなかなか実感できないように、私達が積んでいる善行も目に見えてはなかなか表れません。聖法院の作成した功徳蓄積表は、皆様が積んでこられた行為の表れなのです。普通私達は老後の幸せのために今のお金の一部を貯蓄に回します。それと同じように、皆様の限られた大切な時間や大事なお金を今の喜びのためだけに使うのではなく、人々を幸せに導くため、また人々が功徳を積むための礎であるお寺などに寄付するといった事のために使うことは、昔竜樹菩薩が「布施より豊かさを享受する」と云われたように、現世そして来世までも大きな功徳として影響する「財産」なのです。目先の損得のみに囚われず、自他のための形に表した努力を目に見えるように表したのが功徳貯蓄表なのです。

 太陽とは大毘盧遮那如来(ダビルシャナニョライ)、すなわち大日如来を表しております。毘盧遮那(Vairocana )はサンスクリット音であり、訳して遍照(遍く照らす)意訳して日という。除暗遍明の義にして、如来の智慧を指す。太陽の光に依りて、全ての物は悉く成長し、生ずるが如く、如来の智慧の日光は、遍く宇宙法界を照らす。本当の太陽は夜を照らすことなく、物の表面しか照らさず、雲無き時のみ照るが、如来の智慧の日光は、一切の時間(過去、現在、未来)一切の場所(十方)すなわち三世十方に満たされているので、(日)の上に(大)の字を冠して(大日)と言う。よって太陽は大日如来の象徴なのである。この大日如来である太陽にどのようにしたら近づく事が出来、どの位近づいているのかを知る方法として”太陽への道”があるのです。

 これは太陽である大日如来様と皆様方との距離を太陽系の惑星に置き換えて表した物であります。最初は太陽系で一番遠い惑星である冥王星より始まり段々と内側へと進み最後には太陽である大日如来様の世界に到る為に考えられた物です。信仰とは、成長し続ける事なのです。ですから日々少しでも昨日より功徳を積むように、少しでも太陽である大日如来様の世界に近付ける様に積極的にこの ”太陽への道”に参加し、まずは地球を目指し励んで下さい。解らない事等がございましたら院代の方迄お尋ね下さい。

仏教の基本

三宝

仏宝(仏)・法宝(智恵により得た幸せ)・僧宝(聖者)の三つを三宝といいます。仏教に帰依をした方を正しく導いてくれるのが三宝です。この三宝を帰依の対象とする事で、その人は仏教徒であるといえます。

四聖諦

苦諦(煩悩や煩悩からの行いの結果)・集諦(煩悩やその行い)・滅諦(智恵により得た幸せ)・道諦(煩悩を断つ智恵)の四つを己の手のひらを見るように知る事で人は聖者(僧宝)となり、そんな聖者の智恵とその幸せが法宝となります。その究極に到って、仏となります。またこの四つが、その方々にとっての真実なので四聖諦(四つの聖者の真実)といいます。先の三宝はあらゆる事をこの四聖諦をもって深く理解する事で、帰依の対象となったのです。