分家でも仏壇は必要?
最近、本家があるのになぜ分家の者達が、先祖供養をしなければならないのですか?という質問をよくされます。先祖の供養はした方が良いと言う事は皆さんお解かりなのですが、なぜ供養する必要があるのか?が理解しにくいようです。例えば両親共が元気な場合、今迄の御先祖様は本家で祀っているのに、なぜ自分達が供養料を納めてまで本家と同じ事をしなければならないのか?と疑問がわいてくるようです。本来の宗派が浄土真宗なのに、宗派変えをしていると分家は、本来の宗派に戻して祀らないといけません。もちろん本家も元の宗派に戻して先祖全員を統一した宗派で供養する事が一番良いのですが、人間的な考えの相違で出来ない場合は、気がついた自分達だけでも正しく戻す必要があります。現代は亡くなった人に戒名をつけない宗教がありますが、霊界では俗名のままでは通じにくいので、戒名は必ず必要です。
御神仏がおっしゃるには、人間の魂は三度生まれ変わらねばならない。一度目は、この世に生まれる事。二度目は正しい信仰に巡り合い心から御神仏に帰依し、精神的に生まれ変わる事。三度目はあの世へ帰り、生まれ変わる事です。消滅するのは肉体だけで、魂はあの世で留まり輪廻します。私達はこの世に生まれると同時に命名されます。同じ様にあの世に生まれたら、あの世に通じる名前として戒名をつけなければなりません。
また、霊界へ帰る時は必ず引導の作法が必要です。霊界への道中を浄土へと迷わず導く大切な儀式です。近頃葬式は要らないと言う人が増えているそうですが、霊界の事も理解せずに、あたかも自分は新時代の挑戦者の様に格好つけているのかもしれませんが、必ずあの世で苦しむでしょう。私達がこの世に生を受ける時、産婦人科の医師や看護士さんのお世話になり、初めてこの世に元気で生まれて来る様に霊界へ帰る時も引導の儀式をして丁重に送られるべきです。人生様々でどうしても葬儀が出来ない場合でも、最低限引導の儀式だけは受けなければ、いつまで経っても浄土に向かう事は出来ず、成仏出来ません。結果的に残された子孫へのさわりとして現れてしまいます。これだけはしっかりと覚えておいて下さい。赤ちゃんが生まれた時は名前をつけ、あなたの名前は一郎ですよ。一郎ちゃん、一郎ちゃん、と呼び続けると、赤ちゃんも自分の事だと自覚し、笑ったり振り向いたりします。家族が赤ちゃんに向かって名前を呼び、理解させることが引導の役目にあたります。
従って霊界へ帰る時も戒名が必要です。本家で全然戒名をつけていない場合は、分家が戒名をつけなければいけません。その役目は偶然自分がする事になったのではなく、前世からの因縁がめぐり巡ってお役目が回ってきたのです。この事を損だ、と考える人もいますが、その損以上の得分が必ず自分自身に戻って来ます。しかし十万円使ったから十万円以上の収入が現実に頂ける訳ではありません。自分の悪因縁を消し去り、子孫に反映される等、目に見えない物事で功徳を頂けます。数年後に気がつくと仕事の運気が上がっている人もいます。功徳を頂く時期や形は人によって様々です。
また霊界に帰った時に悪因縁が少なくなっているから早く成仏出来ます。その結果来世は、今よりずっと楽な一生が待っています。善行は施した人に功徳があります。人間は輪廻転生しているから平等なのであり、今世どんなに努力しても不幸な人生だとしたら、この不幸が永遠に続くのではなく、善行を積む事で平等に幸せになれると思うと希望が持てるでしょう。死によって肉体も魂も消滅してしまうのであれば、この世で好きな事をした者勝ちです。しかし、決してそうではありません。
本家の人でも実家の人でも、出来るだけ多くの御先祖様を正しく供養する事です。ただし苗字のちがう実家の御先祖様を自宅の仏壇に一緒に入れたり、念の入っていない仏壇を拝んだりなど、間違った供養をしても功徳にはつながりません。どうせ先祖供養をするのならば、不平や不満を持ちながら拝まない事、見返りばかり考えて供養しない事、それはかえってマイナスになります。気持ちよく、自分がさせて頂く御縁を喜びましょう。これは宝物を自分に回して頂いたようなものです。あなた方の損には絶対になりません。供養の80%は、あなた自身の功徳となります。 合掌