鑑真大和上の言葉(唐招提寺参詣時)

 唐招提寺は763年76才で亡くなられた唐の僧、鑑真大和上が創建されたお寺です。仏教者に正しく戒律を授ける導師として日本から招かれて67才で来日し、5年間東大寺にて生活をしておられました。お釈迦様に礼拝し鑑真和上についてお聞きしたいと願った時、直接聞くが良いと言われた瞬間、魂が別室に移動した。不思議を感じたまま立ち尽くしていると、少し離れた所から鑑真和上の声が聞こえました。突然でしかも小さなお声だったので何を言われたのか定かではありません。

 私は日本に来られて今に至る迄の感想は如何ですか?とお聞きしました。しかし自分でもこの質問は余り感心しないと感じていたら、鑑真和上は黙然して、暫く私の顔をじっと見据えておられた。私にとっては随分長い様に思えましたが、後で考えると1分も経っていないことに気付きました。ゆっくりとした口調で「日本の国の噂を聞く度に心を動かされ、どうしても日本に渡りたいと思っていた。千数百年経った今、あの当時の苦労を思い出しても、どれ一つとして大した苦労とは思えない。たとえどんなに苦労したとしても、これが私の宿命であった事には間違いはない。きっかけはその当時盛んになった日本での仏教を、もっと正しくしっかりと確立したものにしたいと願われたその時の朝廷からの要請で、それに応えられる僧に話しをしてみたが誰も日本に渡る事を承諾しなかった。考えあぐねた末に自分自身で日本へ行く決心をした。その時代中国でも正しく仏教を取り入れる時代であり、拙僧(せっそう)も人々から信頼されていた時期で、またその時代の中国は割合に閉鎖的な所があり、私が日本に渡る事を快く思っていない人達も多く、様々な事柄を運ぶのに思うに任せなかった。随分迷いもしたが日本に比べるとまだ中国の方が仏教について安定している感じがした。またその勉強に長けた僧も多く居た。それで決心をして日本へ向けて船に乗り込んだ。しかし数度の挑戦にも船は嵐に遭い難破し、引き返さざるを得なかった。まるで自分の行く末をはばむかの如くであった。一度ならず災難に遭うのは自分自身が己の運命に逆らっているのか?と何度も考えた。これを最後にと6度目の挑戦で遣唐船に乗り込んだ。これで日本に着かなければ諦める決心をしようと思ったが、日本を想像し益々行きたいと思う願望が自身を強く刺激した。こんな自分が知らない国で役に立てるのなら、と心から感じた。

 長い長い航海の末、目的地とは遠く離れた薩摩の国(長崎県)にまるで不時着の様な思いで港に船を寄せる事になった。そこから丸二ヶ月を費やしてようやく大阪の港に着いた。その時自分は次第に悪くなっていった眼の病に掛かっていた。長い航海の疲れや塩風を目に頂いたせいで、次第に失明に進んで行く事を免れる事は出来なかった。日本にようやく辿り着いたのを待っていたかの様に、私の目は急激に悪化して行った。その時の天皇(聖武天皇)のたっての要望によって来日した私は、ただただ私を信じて頼ってくれた人々に応うるべくして、その使命感だけであった。初心から実に11年数ヶ月経っていた。

 当時日本では勝手に僧になりたがり、確かでない仏教になりかねない状態であった。そんな日本を守る為に、ひたすら私の来日は間違いではないと自分に言い聞かせた。失明が自分自身の魂を仏教に向けて尚も駆り立てた。始めのうちは何故この大切な時期に眼が見えなくなったのか?と自問自答したが、ふっとこれも自分の宿命だと考え、悩む事を止めた。すると目が見えなくなった分、集中して物事を考えられる利点がある事に気付いた。余計な物事を見る事なく、仏教に全ての情熱をかけられる様になった。もし全ての物事が見えたならば、思考力の妨げになっていたであろう。見なくても良い余計な物事まで見えたとしたら、中途で挫折したかもしれない。様々な思いが募ったら故郷に帰りたくなったであろう。しかし肉眼を失った代わりに心の眼はしっかりと見開いた。何事にも邪魔されず、打ち込む事が出来た。その様に一人一人正しく結縁の道場を開き、その者達に御仏に導く事が出来た。これに勝る喜びを未だ私は知らない。私の前に来た者達はそれぞれに多少の優劣はあっても心から仏教に傾倒して行った。その者達の成長、もちろん精神的な成長を感じるにつけ、私は日本に来た事が間違いではなかったと確信した。その喜びと共に自分自身の魂の向上を感じる事が出来た。

 しかしあれから千数百年以上の年月を経て日本を見た時、いや日本だけに限らず、祖国の中国も含め、人々の魂の霊格が著しく下がった事を感じさせられる。これを思うと非常に残念で堪(たま)らない。現代の人々の肉眼は開いているが、盲目としか思えない。人間にとって大切な物を見失い、真実を見ていない。私が伝えた心の一部でも残っているならば、どうかめしいたる者達の心の眼を開かせる為の伝教に力を貸して欲しい。どうか千年前の教えを無にしないで頂きたい。これが今の私の心からの願いである」 合掌