お彼岸
今月はお彼岸月です。皆様は子供にお彼岸ってどんな日?と聞かれたら正しく答えられますか?子供に質問された方が答えにつまり、「お墓参りに行く日だ。」と答えたら「お彼岸しかお墓参りに行かないの?」と又質問されて困ったそうです。皆様御存知の様にお彼岸は春と秋に迎えます。昔から浄土は西にあるとされていますので、太陽が真東から昇り、真西に沈む中日の前後三日間を彼岸としました。ご先祖様へのお供えに春は牡丹の花が咲くので牡丹餅、秋は萩の花にちなんでおはぎをお供えします。彼岸とは彼の岸と書き、清らかな浄土、あの世を指します。それに対して此の岸と書いて此岸、私達が現在住んでいる、煩悩が渦巻いているこの世です。
お釈迦様の入滅後、その教えを説く人も聞く人も無くなると懸念された末法思想は、平安時代に日本各地に広まり、次々と起こる戦乱の中で人々は益々不安になり、極楽浄土に強い憧れを抱く様になりました。末法の時代に入ると思われた1053年に、極楽浄土への願いを込めて宇治の平等院鳳凰堂が建立されました。それ以来お彼岸は日本人の生活に定着して来ました。子供の質問の通りお彼岸だからお墓にお参りすると言うのは変ですが、忙しい今の時代は何か決め事があった方が、墓参りを忘れずに行きやすいのだと思います。お正月、春秋のお彼岸、お盆、各ご先祖様の年忌に当たる日には出来るだけお参りすると喜ばれます。
皆様が何時も唱えている般若心経の最後の部分、羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶 般若心経に私達の願いが込められています。この意味を簡単に言えば、日々の積み重ねにより体得した般若の智慧でまず何も考えず彼岸に渡りましょう。そこで確かな悟りを得て、仏様と一緒になり、更に悟りが成就される。此岸から彼岸の里へ皆で一緒に渡りましょう。一人ではなく皆共にと言う教えが大事な所です。聖法院は大乗仏教の教えに基づいていますので、自分だけが勝手に彼岸へ渡れば良いと言う考えではなく、途中でつまずきそうになったり、心の迷いで立ち止まって前へ進めなくなったりした人達に対し、優しく手を差し伸べ、愛のある言葉で共に前進する様にお互いが協力しあいながら努力をする。自分ひとりで考えて修行すると、考えに間違いがあっても気づくのが遅かったり、間違いに気づかず遠回りしたり、時間と労力の無駄にも成りかねません。大乗仏教に対し小乗仏教は、自分一人で悟りを得て彼岸に渡ろうとするのですが、煩悩で溢れているこの世の中で自分一人迷わず、誰の助けも借りず、彼岸への道をたどる事は相当困難な道です。お釈迦様でさえも様々な難関を乗り越え淘汰した道です。大乗仏教によって一歩ずつ確かな道を歩んだ方が彼岸へと近づけます。
この彼岸月に御先祖様を意識し、供養しあの世を再確認しながら日々精進努力致しましょう。 合掌