インド旅行
先日テレビでインドの景色を見て、25年前の事を懐かしく思うと同時に、聖天様のお言葉を思い出したのです。インドはお釈迦様が誕生された御聖地なので是非行きたい国でした。ノーベル平和賞を受賞されたダライラマさんが、貧しい子供達を弁護士や医者等に育てる為に国からの援助も受けられないので、学校を建てる寄付を募っておられました。そこで私達が少しずつ寄付を募って、学校を建てさせていただきました。この時の目標が二千万円だったのですが、インドの月給が当時六千円位ですので、インドの方には二千万円は大金です。その為に何度かインドに行きましたが、その度に日本は本当に豊かだなあ、と実感するのです。
インドの空港に降りると、すぐに子供達が寄って来て、食べ物を欲しがります。歩いている時に食べ物を与えると、子供達に取り囲まれて歩けなくなるので、バスの窓から小さなパンを上げました。すると、その中の年長の子供がパンを受け取り、小さく細切れにして、自分が背負っている赤ちゃんや周りの子供達に配ったのです。パンはほんの一口ずつになってしまいました。それを長い間噛んでいたのです。滅多に食べられないので、飲み込むのが惜しい様です。
帰国するとテレビで普賢岳の被災者のニュースをしていました。全国から送られて来た服を被災者の方が見て「こんな古着は着られない。新しい物を送ってほしい」と言っていました。インドでは、私達が使い捨てた下着を「ください」と一生懸命に言うのです。破れていても良いのです。そして「これを盗ったのではない、と言う証明のサインをしてほしい。サインをしてくれないと貰えない」とパンツを皆の前で広げて、「誰の物ですか?」と見せるので、本当は上げたいのですが、皆の前で自分のです、とは言い難いので皆様困っていました。
インドは水不足なので、日本からトランクに詰めて水を持って行きました。私達は口をゆすぐ時もそれを使わなければ、すぐに腹痛になります。インドの方は雨水や汚水を飲んでいます。日本人は豊かな生活をしすぎて、免疫力が低く軟弱になっているのです。私達は二週間滞在したので、冷蔵庫にウーロン茶を入れていました。ある日、ホテルに帰ると、そのお茶は全部飲まれていました。日本人の観光客だと思うと、合鍵で勝手に入ったりします。夜中の二時頃に人の気配で目覚めると、殆ど腐った果物を要りませんか?と言われました。果物は目覚められた時のカモフラージュです。これでも一流ホテルです。ガンジス河へ行くと、ちょうど包帯で巻かれた死体を焼いている所でした。その1m程離れた所で水を飲んでいるのです。死体の灰が流れているのに、有り難い顔をして飲んでいました。
毎日そんな悲惨な場面を見ながら帰国すると「日本は豊かだなあ」とつくづく思いました。ずっと日本に居ると感謝する事も少ないので、特に学生時代にインドへ行った方が良いと思います。
帰国して御神仏に報告すると、聖天様から『インドを旅してどの様に感じたか?』と聞かれました。「とにかく貧しくて汚くて、可哀想だと思いました。」と言うと、聖天様は『何が可哀想なのか?何を見て貧しく感じたのか?お前達の生活はどうなのか?』と矢継ぎ早に質問されました。聖天様は、『神仏から見ると、日本人の方が可哀想な人間や貧しい人達が多い。又愚かな人間も多い。日本人もインドへ行って同じ生活を体験した後に、自分の心を見た時、どちらが愚かしい人間かはっきり分かるであろう』とおっしゃいました。
日本の国はこれだけ豊かなのに、パンを人と分け合う心も忘れているし、残飯も簡単に捨てます。人に対する感謝も信仰心も少ないのです。インドの人はどんなに貧しくても、朝夕必ず礼拝しています。御神仏からご覧になると、身なりが良く大金持ちでも、多くは心貧しい人です。人間は同じ環境に置かれた時に、どの様にその人が変わるかが一番大事です。ある日突然大金を持たせてみると、態度が変わる人が多いですが、自分の立場や境遇が変わっても、常に変わる事無く良い状態を保っている人が善人なのです。『人間を見た目だけで判断し、人間の善悪をつけてはならない。生まれや育ちで絶対に差別をしてはならない』と聖天様は説かれました。
合掌