人間関係の砥石

 4月は新生活のスタートの時期ですが、5月病と言われている病があります。今迄気楽に学生生活を送って来た人達が社会人になり、会社に勤めると人間関係が上手くいかないから辞めたいと言う人が多くいます。私は学校を卒業してから今まで1ヶ月も給料を頂かない月はありません。つまり今まで1ヶ月も失業した事も長期に休んだ事もないのです。出産の時も病院や家で事務仕事をしていました。どうしても職場が嫌になったら、次の行き場所を決めてから辞めました。しかし働くと言うことには人間関係がついてまわります。嫌なことはたくさんあります。

 私は人とのお付き合いは上手な方だと思いますが、今まで会社に行っている時に、どうしても苦手な人が居ました。もちろん、その時は信仰心もゼロです。当時、「こっくりさん」が流行り、昼休みによくやりました。2人が目を閉じて読む人を横に置いて行います。すると、苦手な人の名前が出て何日にお前が会社に来ると、必ず大喧嘩になるだろうと文字に出て来たのです。私はその日、会社を休みました。今思うと何と愚かなことをしていたのだろうと思います。何故その人のことが許せなかったのかと不思議に思います。お釈迦様が説かれた様に心を耕していなかったので、柔軟性がなかったのでしょう。許す心がなかったのだと思います。

 始業時間は朝8時15分で私は20〜30分前に会社へ行き、数人の女子社員と事務所の掃除、雑用をして8時15分に仕事を始めると、9時にその苦手な彼女が出社して、上司の机と男子社員の机だけ拭き掃除を始めるのです。遅く来た上司は「君一人で掃除しているの?」と聞くと「はい」と答えます。「はー?」今から考えると、しっかり全てを見てくれている上司もいたので、私が目くじらを立てなくても良いことです。机も2回拭くと、より一層奇麗になると今ならば思えます。「私達が拭きましたよ。」と言っても、全く聞こえないふりをして拭き続けるのです。それが毎日何年も続いたので、徐々に嫌になったのだと思います。

 数年たってこの道に入った時に、お大師様にその事をお尋ねすると、『ほーそれは良かったではないか、人々の回りに一人や二人は必ず苦手な人を配置するであろう。それは砥石(といし)の役目が見つかった事になる。そちも自分で気付かぬうちに、他人に対して砥石の役目をしている事もある。砥石と砥石がぶつかると、お互いの刃がボロボロになって何の得策にもならない。今は自分の心を磨いて貰う時なのだと感じることが大事である。自分の心が次第に落ち着いたら、心が丸くなった時であり、そちの回りには嫌いな人は一人もいなくなるであろう。その時はそちの心は今迄よりも清らかに、穏やかになっている。砥石同士だとカッとなってどちらの役目も成さない事になる。』と話して下さいました。私は砥石ばかりをその人に向けていたのだな〜とつくづく感じました。今となってはあの人は私にとって良い砥石だったのだ。もったいない事をしたな〜と思います。この様に皆様の回りにも必ず良い砥石が置かれてあります。生きていく上でお金は大事ですが、人間関係を良くするのも悪くするのも自分の心のあり方だと思います。穏やかな心で暮らしたいと思えば、小さな事にも腹を立てて、すぐに職場を変えるのではなく、まず自分の心の置き場所を変えてみて下さい。自分が砥石になる場合と、相手の砥石で自分の心を丸く削って貰う場合と、時によって色々な変化を自覚することが大切です。お釈迦様は『他人を許せないと思うほど、自分は正しい人間ではない、と自覚せよ』と説いておられました。お大師様に教えて頂いたお言葉も忘れずに、苦しい時には思い出して荒波を乗り切って下さい。必ず穏やかな生活が待っています。

合掌