信仰の程度
親がしっかりと子供を信仰に導きたい時、親が間違った言い方をしている人が多いことに驚かされます。例えば試験を受けに行き不合格だった場合、「これだけ一生懸命に拝んでいるのに、どうして不合格なの」と言う人がいます。「もう信じられない」と言って大事な信仰を簡単に辞めてしまいます。この親の考えだと、幼年期から手を合わせている子供達は、全員東大に合格するはずです。これは信仰に関する考え方が間違っています。ご神仏は努力する者達を守護します。その者が実力を十分に発揮できる様に見守って頂けます。手を合わせているだけで、自分の人生が思い通りになることが信仰ではありません。親が子供に言ったのは、「このお守りさえ持っていれば、わからなくても答えを書けるよ」そう子供に言っていたので、子供はそれを信じて勉強をしていませんでした。それまで毎日一生懸命手を合わせていた子供が、全く信じなくなり、手を合わさなくなりました。親の信仰に対する間違った説明で、人生にとって大切な信仰心を失わせてしまったのです。
お大師様に「人々は色々な説法を聞いて、その時は理解したつもりでいますが、何かを信仰心のない他人に言われると、すぐ後退してしまうのです。何故人々はこの様に愚かなのでしょうか?」とお尋ねしたことがあります。するとお大師様が説かれたのは、『その人間が信仰の出発点に近いか、ゴールに近いか、どの辺りにいるかにより変わるものだ。ほとんどの人間は、出発点に近い。出発したばかりの人間は、まだ出発もしていない人間の考えに近い。従って何か問題が起きた時、出発点に帰ったら自分の考えに近いから、気分的に楽になると思い信仰心を簡単に失ってしまう。人々はこの世に修行に来ていることを忘れている。どの様な修行も楽なことはない。しかしそれまでに努力を重ねて、ゴールが見えて来た人間は出発点に戻ろうとは決して考えない』と説かれました。お大師様が説かれたように、出発点が近い人々に信仰の迷いが来るのです。出来る限りゴールに向かって走り続けることが、結果として人生の幸せに続く道となります。信仰も努力も決して自分を裏切ることはありません。信仰を始めたばかりの人も、お大師様が説かれた事柄を忘れずに、まっすぐゴールに向かって進んで下さい。合掌