功徳の差

 一年経つのは早いもので、今日が今年最後の鳴動式となります。昨年より少しでも魂の向上が出来たらたいしたものです。私達が毎日お風呂に入って身体を洗う様に、本来ならば心も毎日洗う方が正しいのです。身体を洗う時は石鹸を使います。心を洗う石鹸の役目をするのが説法です。しかしその石鹸を使うのは自分自身です。いくら高級な石鹸を用意しても、お風呂に入って自分で洗わなければ身体がキレイにならない様に、いくら為に成る説法を聞いても、自分でそれを使って心の掃除をしなければ、何の役にも立ちません。高級石鹸を棚に置きっぱなしにしない様にしっかりと使って下さい。御神仏は使えば使うほど更に良い石鹸を与えて下さいます。

 今年も皆様に色々なご奉仕をして頂きました。そのご奉仕もいろいろな形があり、先に功徳を頂いている人は、ご奉仕で少しずつ返済する。殆どの方々が先に頂いた功徳に対するローン返済をしている様なものです。ご神仏から見られると、ご奉仕をしている人々の心の動きが実に面白いそうです。ご奉仕の見返りが欲しくてやっているのではないと言いながら、大抵の人々は少しだけでも欲しいのです。

 心のどこかで御神仏は本当に見ていて下さるかなあ?と思うのです。その思いがトイレより本堂の掃除がしたいと思うのかもしれません。しかしこの御聖地の中ではどこの掃除も同じような功徳です。逆に人が嫌がる掃除をする方が功徳は高くなります。また功徳の差はお掃除をしている人々の心により差がでてきます。ここにはそんな方は居られませんが、例えば早く終わらないかなあ、と面倒臭がって掃除をするのと、今年も元気で大掃除に参加出来た、心の埃を取って頂ける喜びと有難さを感じながら掃除をする人とでは雲泥の差が出ます。

 私達人間から見るとどちらも一生懸命に見えますが、御神仏は騙せませんし、瞬間的な心の隅まで見抜かれます。そしてそれに見合った功徳を下さいます。これが真の平等です。いつも皆様の大切な時間を頂いております。せっかく大切な人生の時間を割くのですから欲得なく真剣に御奉仕をして、ご神仏に正しく見定めて頂きましょう。合掌