勝手な考え
自分の大切な人が重い病に掛かった時、よく聞く言葉ですが「私が身代わりになりますからその人を助けて下さいと、神様にお願いして下さい。」私はこの言葉を聞くと「そんな事をご神仏にお願いして、本当に大丈夫ですか?」と思います。
私は、この言葉を聞く度に思い出す体験があります。ある時、生駒の聖天様にお参りしていると、顔見知りの男性が聖天堂の前で一生懸命拝んでいました。私が「何をお願いしているのですか?」と尋ねると、「実は弟が癌で急に倒れたので、私が身代りになりますから弟を助けて下さいとお願いしているのです。」とおっしゃいました。私は「偉い人だなぁ。でも身代りなんて出来るのかしら?」と思いました。数ヶ月経って今度は女性が泣きながら拝んでいました。「どうしたの?」と聞くと、身代りを祈願していた人が亡くなって、病気の弟は助かったそうなのです。その女性は祈願した男性の妻でした。皆さんは、その祈願をしていた男性が命を取られてしまったのは何故だと思いますか?祈願していた男性が弟を助けたい気持ちは分かりますが、その人の心の中に弟を助けて貰っても、神様は私の命は取らないだろうと言う安易な気持ちがあったから罰があたったのかも知れません。
またある時、私の知人でヘビースモーカーの男性が聖天様に対して、「大好きなタバコを止めるから商売繁盛をさせて下さい。」とお願いしました。彼はとても資金繰りに困っていましたが、タバコを止めて数ヶ月すると、どうにか運転資金が上手く回る様になりました。ある日、彼を見ると止めていたはずのタバコを吸っていたのです。しかも聖天様のお堂の前で。私はビックリして「聖天様にお約束していましたよね?」と言うと、「したけどあんな願い事、神様が本当に聞いてくれたかどうかわからんやろ?」驚いた私は「願いを叶えて下さったからお金が上手く回る様になったのでしょ?」と言うと、その男性は「いやー良く考えたら、あれから物凄く色々努力したから自分の力だと思うわ。そんなに神様が聞いてくれるなら、約束破ったから火事になるなり何でも罰当ててくれても良いよー」と言って大声で笑いながら去って行きました。
それから1ヶ月も経たない間に自宅が全焼し、商売も全て上手くいかなくなったのです。彼はどうする事も出来なくなり、とうとう自殺してしまいました。御神仏にお約束をすると言う事は、心底ウソ偽りのない約束をしなければいけません。この男性の大きな罪は聖天様のお心を試して、わざわざお堂の前で堂々とタバコをふかして見せた事です。人間は自分の都合の良い様に考えを変える所があります。御神仏は私達が口に出さなくても心の中を全てお見通しです。御神仏が延命される時は、「この人間は延命すれば、社会の役に立てるのか?このままあの世へ送った方が良いのか?」とあれこれ考慮されます。一生懸命純粋に拝んでいれば、御神仏は必ず見ておられますので、全てを御神仏にお任せして自分勝手な行動をしない事です。それにこれは真の信仰ではありません。信仰において、ご神仏との駆け引きや取引は絶対やってはいけない事です。どんなに大きな困難にぶつかっても、自分が出来るだけの努力をして、後はご神仏にお任せする事です。この時に日頃の信仰が役に立つのです。表面だけの信仰は罪だけを残します。 合掌