心の糸
6月は大般若法会です。聖法院では偶数月に種類の違う大祭を行いますが、全てご神仏のご指示通り実行しています。年を重ねてくると自分で想像しているより、はるかに早く寿命が尽きるのかもと感じる時があります。現に著名人や知人が次々と年齢に関係なくあの世に帰って行きます。御神仏からご覧になると、死ぬのではなく、あの世に生まれるのです。私達がこの世に生まれる時、十月十日(とつきとうか)母体に居ると言われています。今の自分の年齢に換算すると、私は地球という母体に居て、もう9ヶ月に入ったあたりで、のんびりしても居られません。赤ちゃんも母体から生まれ出る時が近付くと、色々準備するそうです。私達もあの世に生まれ変わる準備状態です。
種類の違う大祭に参加する事も人間として大事な準備に含まれます。大祭は信者さんと僧侶が一体となって一つの物を作り上げて行き、自分達は聖法院の御神仏に心から帰依していますと、表すのも大祭の役目です。皆が一体となり信仰し、発展して行く事が必ず皆さんの功徳に繋がります。多くの方々の質問で「自分達は人間として生まれて来て、何をするべきなのですか?」戦中戦後を生き抜いて来た方々は、食べる為に一生懸命働いて、自分の心をみつめる時間のゆとりはありませんでした。現代は文明文化が発展し昔と比べると家事全般も時間が短縮され、女性も時間的なゆとりが出来、外で働く人も多くなりました。その分色々な事を考えて「私はこのままズルズルと仕事をするだけで良いのだろうか?自分は天職を持っているのだろうか?」と様々な疑問が湧き出します。自分の心を見つめる人達が多くなった事は非常に良い事だと思います。逆にそれが裏目に出て、悩みすぎてノイローゼ気味になる人もいます。自分は駄目だと思い込まないで、ご神仏に守られているのだから安心して自分の出来る精一杯の努力をしようと前向きな方向で考える様にして下さい。
皆さんは今日の鳴動式でも一生懸命に御真言を唱えておられましたが、「念仏やお経を唱えて何になるの?家でゴロゴロとテレビでも見て寝ている方が楽で良いですよ。」とおっしゃる方がいらっしゃるので、「今すぐに何か変わる事はないでしょう。しかし毎日の積み重ねがあなたの功徳となるのです。一度唱えてみては如何ですか?」とお答えすると、「してもしなくても自由でしょ?」とおっしゃるので、「あなたの自由ですよ。自由だからこそ一度その気になって唱えてみて下さい。」と言うと、その時御神仏が、『なぜ唱えられないかと言うと、唱える気が無いのではなく、神仏と自分の魂が繋がっていないから唱えられないのだ。』とおっしゃいました。皆さんは鳴動式で何の疑いも無く、南無尊帝そわか、南無大師遍照金剛、南無阿弥陀仏等の御真言をいつでも自由に唱えておられます。それは神様と皆さん一人一人の魂が繋がっているからです。ところが繋がっていない人は勝手に唱えないのではなく、唱える御縁を持たせて頂いていないのです。この世で生きて行く為には、絶対に避けられない悪があります。例えば高校受験があって、親友と自分のどちらか一人しか合格しないとすると、「私は辞めるからあなたが行って。」とは中々言えません。自分が合格したいと頑張っている時、もしかしたら親友が不合格になる事を願うかもしれません。また、あくまでも自然環境を守ろうとすると、日本の経済発展に繋がりません。この様に発展の為には何かを犠牲にしています。誰であれ、人生は自分一人で頑張っているのだ。神仏の世話にはなっていないと思っているのは大きな間違いです。社会で貢献している人は上になればなる程、知らない間に何かしらの悪を犯しています。それらを日々懺悔しながら生きて行くべきです。念仏を唱えられない人は、御神仏と赤い糸が繋がっていないと言う事で、あの世へ行くと非常に苦しみを背負います。信仰心が全くない人でも重い病にかかったら、知っている限りの念仏や真言を唱えるでしょう。私達全員、心のどこかに必ず仏心を持っています。自分が不安になり恐怖心に駆られると必ず手を合わせます。それならば日頃から真言を唱えて懺悔し、本来の人間の姿になれる様に過ごす事が自分の人生に豊かな実りを得る事につながるのです。 合掌