思い通りでない人生

 何故信仰しているのに思い通 りの人生ではないのですか?と聞かれる事があります。人生には悲しい事や苦しい事がたくさんあります。もちろん人によってその感じ方も違いますので、他人 がみると苦しみのうちに入らないと思っても、当人は悲しみや苦しみと感じる事があります。この世に生を受ける時、苦しみと楽しみの数はほぼ変わらないそう です。しかし中身の濃さは人それぞれの「業」によって違います。
苦しみを乗り越えた時、僅かな楽しみが御神仏からのご褒美として頂ける気がします。私達がこの世に生を受けたのは修行に来ているのです。病気するのも修行 の一つです。その人の業により修行の形は違います。私達は何の為に修行をするのでしょう?それは人間の最終目的である解脱(げだつ)を する為なのです。解脱とは人間が何度も生まれ変わり死に変わりして、その輪廻の輪から抜け出す事が最終目標なのです。解脱すると二度と悲しい事や苦しい目 に遭わなくて済み、素晴らしい世界に入れるという事です。それが信仰の目標でもあり、お釈迦様の説かれた教えです。前世でも苦しい事を一つ一つ乗り越えて 現在の自分があるのです。
 御神仏は人間に対して、どんな時にも二つの道を与えているとおっしゃっています。そのどちらの道を選ぶかはその人自身である。選んだ内容を御神仏が見られて、選んだ人自身の信仰の深さによって、いかに早くそこから抜け出せるかの手助けして頂けます。なぜ人々に選ばせるのか?自分で選ばなければ修行にならず、生を受けた意味がないからです。人生では必ず岐路に立たされる事があり、しかもその時は自分で行く道を選ばねばなりません。
 ある時お聖天様が例題を出されました。「向こう岸に渡りなさい。それが一番幸せに近い。向こう岸に渡る方法が二つある。目前の沼を渡るのが一番近道だ が、胸までつかるような泥沼で、沼の底は見えないので深さも分からず、沼に住んでいる生物も不明なので危険も伴います。もう一つの方法は、はるか向こうに 見え隠れしている橋まで歩き、その橋を渡って向こう岸に渡り、目の前の岸まで再び戻って来るか、どちらかを選びなさい。橋まで往復歩くには年数が掛かる が、危険も無く汚れなくて済む。ただし向こう岸に渡るまでは次の修行は出来ない条件です。あなたはどちらを選びますか?私 は今までの人生を振り返ると、いつも泥沼を選んでいます。従って絶えず苦労がついてまわります。しかし自分はしっかりと正しく信仰している自信があります ので、御神仏を信じ結果的には良い方向に導いて頂いています。苦労が少ない人よりも、苦労してもはるかに魂の段階は高くなります。あきらめる事なく努力し ましょう。正しい信仰は必ずあなたを助けてくれます。  合掌