悪因縁バロメーター
私達はこの世に生を受けた者全員、大なり小なり悪因縁を持っています。しかし、どの位の悪因縁を持っているものか?ご神仏にしか判りません。他人の幸せを心の底から喜べるか、否かで少し悪因縁の大小を推し量ることが出来ると、ご神仏にお聞きしたことがあります。
ある男性が相談に来られて、「私は他人が幸せになった話を聞くと、表面は喜んで見せるけど内心は、ねたましいし、腹が立つ」と言われました。「同僚や親友など自分が親しくしている人ほど、その気持ちが強く出ます。こんな私は悪因縁が強いのですね。どうしたらこの悪い心を治せるのでしょうか?」と聞かれたのです。その方は皆に好かれている、とても評判の良い方です。
私はこれを聞いて正直な人だな、と思いながら神様にお尋ねしました。『ねたみの心を隠さずに、神の前で正直に言えたことが、既に悪因縁を除きたい、としている前兆である。つまり自分で自覚していることであり、良き方向に向かっている証拠である。悪因縁を持っていると自覚しなければ、悪因縁を取り除く事は出来ない』とおっしゃいました。例えば病気でもまず自分は病気に掛かっていると自覚しなければ薬の処方も無く、治療できないのと同じです。その答えを聞いた男性は大変喜ばれて、「もっと説法を聞いて心の向上を図ります」と言われました。ご神仏は『ねたましい、腹が立つ、その思いから少し向上させ、うらやましい、自分もそうなりたいと目標にして努力の肥料にするが良い。
しかし、うらやましいは、すぐに妬みの心に変化するから気をつける様に』と説かれました。
50年位前の万博のテーマは「進歩と調和」でしたが、それから50年も経っていますが、人の心は進歩しているのでしょうか?進歩とは経済的なことだけを指しているのではなく、心の向上と人間関係の調和も含まれています。あの時の自分よりも経済的には楽になっていないが、心のゆとりや安定を感じたら、この50年の人生は無駄ではなかったのです。
色々な面で進歩したいと思えば、他人からの非難や世間体は気にしない事。人の前を走ろうと思えば、冷たい向かい風は受けて当然である。気にする人は一生、人の陰に隠れ、他人の言葉に反論せず、常にうなずき、目立たない生き方をするしかない。しかし自分の中では一生進歩することは出来ない。どちらの人生を選ぶかは人それぞれ自由ですが、ご神仏から見られて一番無駄な人生は、他人からの非難や世間体ばかりを恐れて努力もしない人間です。
世間体とは一種の執着心です。世間体を気にする自分に気付いたら孔雀を思い出して下さい。羽を広げた孔雀はとても美しいですが、後ろ姿を見るとお尻丸出しで不格好な事この上ないのです。普通に生活している私達の世間は、職場や住んでいる町から出ると、自分を知っている人などほとんどおりません。自分たちの世間はいかに狭いかが判ります。そんな狭い世間の為に悩んで、右往左往して自分の人生を送るのは愚かなことです。自分自身の心を広くおおらかに保ち、少しずつ進歩向上致しましょう。
合掌