施食と散骨
4月1日に春の大祭で施食会(せじきえ)を行います。施食会は、皆さんも美味しい物があれば、ご近所の方や友人にお裾分けをすると、あげた方が感謝して下さるのと同じで、あの世の霊魂にも自分の家の御先祖様だけにお供えするのではなくて、有縁無縁や親戚の人達にも差しあげることにより感謝が数倍にもなるのです。家族に食事を作っても、感謝されることは少ないですが、近所の病人やお年寄りに差し上げると、とても喜んでくれます。それと同じで功徳が数倍になって、皆さんに返って来る訳です。
施し(布施)と言うのは、とても大事な行為ですので、年に一度の施食会に出来るだけ多くの霊魂たちに食を施して頂きたいと思います。
ある方の相談で「主人が亡くなる前に、自分は山が好きだから山に散骨して、と言い残したので山に散骨したいと思いますが、どこの山でも良いのでしょうか?」と言う相談がありました。遺骨を海や山林に撒いても良いと言う新聞記事を見た事があります。山の持ち主に関係ないのですか?少し考え方がおかしいですよね。散骨は絶対止めて下さい、と言っても亡くなった人の遺言だから、その通りにして上げたいと9割の方が言われます。
しかし一番後悔するのは、あの世に帰られたご先祖様です。自分が散骨して欲しいと家族に言い残された方が、あの世に帰って初めてそれが間違いだったと気付いた時にはすでに遅いのです。散骨は非常に怖いことですし、とても悲しいことです。現代的で一番新しい埋葬法の様に思われますが、皆さんは絶対に賛同しないでください。
そして、これは大切な事ですので、子孫にも伝えることが財産を残すよりも大事です。御神仏や御先祖様が居られて、自分が生かされている事実を伝えることが子孫の繁栄や、家運の繁栄に繋がります。お骨自体に魂が宿っているのではなく、あの世へ帰った魂は、自分の為にお骨をどの様に葬ってくれるかに執着があります。
それを、「今は散骨の自由だから、お墓も作らない方が楽でいいだろう。」と安易に考えていると、「私のことをあの様にしか思ってくれてないのか」となります。遺骨をいかに正しく葬るかによって、その人が成仏するかしないかが別れますし、子孫に災い起こさない為にも正しい方法で納骨するべきです。
一番大切な事は、死後は必ず如来様にお骨を含む肉体を返却して初めて修行が始まります。肉体は如来様からの借り物です。従って返すのが当然です。間違って肉体は自分自身の物だと考えているので、自由に散骨する発想が生まれてしまいます。
もし知人が散骨をしようと考えていたら、知らぬ顔をするのではなく一度は教えて上げて下さい。それを聞き手が実行するか否かまでは責任はありません。
合掌