松下政経塾
昭和55年に日本の指導者を育成する為に、松下幸之助さんが松下政経塾を開設されました。当時その塾生が衆議員選挙で数十名当選者を出しました。
その塾生に幸之助さんは「皆さん掃除をやっていますね。その掃除は80点以上であれば及第点ですが、掃除一つ出来ない人間は何も出来ない。本当は掃除を完全にすると言うことは一大事業です。掃除の行き届いた百貨店と、掃除がお粗末な百貨店は売上が違う」これが開口一番の言葉だそうです。塾生に毎朝掃除を義務付けていました。すると掃除をする為に塾に入ったのではない、と不満が出たそうです。会社でも新入社員がお茶汲みや、掃除に来たのではないと不平不満を言う人もいます。そんな人達に対し「掃除を真剣にやれば政治の真髄まで分かってくる。掃除すら出来ない者に政治が出来る訳が無い。掃除を馬鹿にしていると、深いものを読み取れない。物事の真髄をつかめる人と、単なる掃除で終わる人が出て来ることになる」掃除を休んだ塾生に対し、「掃除するという事は信用や。信用を捨てるということは、宝を捨てるのと一緒やで。その怠け心をいましめなあかん。無断で掃除を休んだら罰金もらうで。わしの心が痛む慰謝料や」と叱ったそうです。
私も30数年前にご神仏にご注意を受けたことがあります。その当時高山や出張から帰って来て疲れていても女は色々な家事が待っています。忘れもしません。夕食を作るためにネギを刻みながら思ったのです。何でこんなに疲れているのにこんなことまでしないといけないのか、他に誰かいるのではないのか、女は損だ等とイライラしながらネギを切っていたその時、声が聞こえたのです。『そちが心に思う、たかがこんな仕事と思うことが、難なくこなせなくて、どうして人の上に立つことが出来ようか。自分が軽んじる仕事こそが大事なのではないのか?今自分の目の前に与えられた仕事を不平不満に思うこと無く、一生懸命こなすことが修行であり、それが人間としての基礎となり楽の種を生む。この世に仕事の貴賎は無い。何一つ無駄な仕事は無い。全て大切なことである』と言われたのです。良く考えると自分が軽んじていた仕事を、出来るのかと言われると出来ないことの方が多いのです。それ以後は様々な人に出会っても、尊敬できる部分が多く見えて来ました。今は有難いことに家庭でもお寺でも、色々な面で私を支えてくれる人達のお陰で仕事に専念出来る様になりました。お参りされる方々にこのお寺はきれいに掃除されていて気持良いねと通りすがりに小耳に挟むことがあります。それでこそ私の説法も活きてきますが、もしゴミが散乱したお寺でしたら、いくら良い話をしても聴いて頂けないと思います。目前に与えられた仕事を一生懸命やる事が、人生の目標に近づき幸せになるのです。
合掌