母の日にちなんで
5月の第二日曜日は母の日です。この日の始まりは、1861年に始まったアメリカの南北戦争がきっかけです。戦争で負傷した兵士を助ける活動をしていた方の娘さんと、助けて貰った兵士達が、亡くなったお母さんの追悼式を教会で行いました。
その時お母さんが大好きだった白いカーネーションを手向けたのが始まりとなって、アメリカ全土に広がり、1914年の5月の第二日曜日を母の日とアメリカが制定したそうです。亡くなられたお母さんに白いカーネーションを送ったので、お元気なお母さんには赤いカーネーションに決まったそうです。
私も母との思い出は色々ありますが、いつも感心していた事が一つあります。それはどんな苦しい時も愚痴を聞いた事がありません。私には愚痴を言っても何も変わらない、むしろ自分が嫌になるから言わない、と言って笑っていました。私には大人になったら嫌な事や苦しい事は山ほどあるけど、どんな時も「忍耐忍耐、それが一番肝心、必ず楽しい日が来るから」と話していました。
4月の瞑想会でお釈迦様が『人間の最終目的は、解脱(げだつ)である。その条件の一つに忍耐がある。』と説かれました。細菌学者、野口英世さんの生家の石碑に『忍耐は苦し、されどその果実は甘し。』と書かれています。忍耐とは字の如く耐え忍ぶ事ですが、忍は刃の下に心と書きますが、刃を突きつけられてもじっと耐えると言う意味です。野口英世さんは「忍耐と言う木を育てるのには、長い時間を要し、その苦労は並大抵ではない。だがいつ実るか分からないが、必ず実るその味は格別甘いものだ。」とおっしゃっています。
菩薩行の中に忍辱(にんにく)行があります。どんなに侮辱や迫害されてもじっと我慢する行です。人間関係でも自分は良いと思ってした事が、相手に通じないで悪意に取られる事もあります。その結果得意先や上司から冷たい仕打ちが返って来る事もあるでしょう。この冷たい仕打ちを心の中で温める期間が忍耐です。温まった心は慈愛の心に変化しているのです。これで相手の心が打ち解けた時、反省の心となって返って来て自分も救われます。
これを仏教では供養と言います。亡くなった先祖に対するだけが供養ではありません。忍耐と言う言葉は古く感じるかもしれませんが、現代にこそ一番大切な言葉であり、幸せ行きのチケットになるのです。家庭でも社会でも平静な心から生まれる忍耐が大事です。忍耐で一番難しい事は期限の分からない時を待つ事です。この事について白隠禅師(はくいんぜんし)の師曰く「どんな苦しみでも一日と思ったら堪え易い。どんな楽しい事でも一日だけと思ったら、のめり込む事もあるまい。一日一日と思えば百年も千年も耐える事が出来る。」と説かれています。私達の人生も忍耐が宝となります。
合掌