法を活かす
これから秋にかけて台風の時期になると思い出すことがあります。18年前、広島県の世界文化遺産、厳島(いつくしま)神社で、今は亡き中村勘三郎さんが、神様に奉納する舞いを観に行ったことがあります。私達は観ることが出来ましたが、後半の方は台風で中止になりました。帰りに広島駅へ着くと、電車が全面ストップしており、団体旅行なので仕方のない状況の中「どうしてくれるの・・・」と詰め寄られた添乗員の女性も対処のしようもありませんでした。格安な旅行ですから対応策を参加者の挙手で決めることになりました。ところが決まりそうになると一人が「こんな決め方おかしい」と反対し、結局2時間半何も決まりませんでした。台風にも関わらず観光に行こうとか、福山までバスに乗せて行けなど様々なことを言っていました。添乗員さんが、本社と連絡して、「ここで解散と決まりました。」と伝えると、「ここで解散だったらお金を一部返してくれ。」と何人かが言いましたが、これは妥当だと思います。そこで女子社員は現金を持っていないので「帰ってから必ず返金致します。本社での決定なので御了承下さい。」とハッキリ答えればすぐに終わる問題ですが、その添乗員さんは皆に振り回されて何も決まりません。
その時、お大師様が『この状況をよく見なさい。煩悩の塊だ。煩悩は全ての人間が持っているが、自分が好き放題言っていることに自分で気付いていない。』とおっしゃいました。例えば海にボートを浮かべ、小さな穴があくと水が入り沈みます。各自好きなことを言っているのが、ボートに穴をあけている行為と同じです。全員が沈みかけているボートに乗って、2時間半も何もせず無駄に過ごしていることに気づいていません。私達は煩悩を持っていることは認めていますが、煩悩を全部消し去ることは死ぬまで出来ません。寝たい、食べたい、遊びたい等、この膨大な煩悩を消すことは、自分で自分の体を持ち上げるのと同様に絶対出来ないことです。
お大師様が『人々は法を学ぼうとはするが、耳学問で終わり、体得していないから、法の上に立って行動し、生活することが出来ない。』私達は御神仏に色々なことをお願いしていますが、御神仏も私達に願いを掛けておられます。あの世では全ての人間が法に守られているが、かわいい子には旅をさせよ、の言葉の如く一旦人間の世界に生まれたら、あの世の法を離れます。そこから現世で信仰し法を学んで、また法の中に戻って行くのです。法を本当に理解してあの世に帰る人間は、100人に1人くらいは出来て欲しいとお大師様は望まれておられますが、実際はもっと低い確率だと思います。法の中に元々いるのが人間の本来の姿です。本来の人間に立ち戻ってあの世へ帰って来なさい、と阿弥陀様やお釈迦様も願っておられます。皆様も一生懸命信仰はしていますが、いざ自分の身に災難が降りかかった時こそ、法の教えを活かしているか否かがハッキリ分かります。これからも嫌な目に遭う時がありますが、そんな時にこそ落ち着いて、心の中で御真言を唱えながら、私は御神仏に願われて生きているのだ、と自覚すると恥ずかしい行為はやめておこうという気持ちになれると思います。 合掌