端午の節句

 端午の節句(たんごのせっく)の端と言う字には「はし」と「始まり」と言う意味があります。昔、中国では5月の一番始めの午(うま)の日を一年で一番忌み嫌っていたそうで、ヨモギで人形の型を作り、それを門の外に吊り下げて厄除けのおまじないにしたそうです。ちなみに今年はピッタリ5月5日が始めの午の日ですが、日本では毎年変わると混乱するので、5月5日と決められたそうです。

 お釈迦様は『子供を育てる事はどんな事業よりも遥かに難しいが、何よりもやりがいがある』と説かれました。子供の性格は環境や親の育て方、前世の因縁によって変わります。子供が立派に育てば、子供自身良い人生を送ることができ、親もその子供の苦労が少ない安定した人生を送ることが出来ます。

 俳人の小林一茶は5月5日生まれです。彼は農家に生まれてある程度豊かな生活をしていました。8才の時に継母が来てから精神的にとても苦労をしたのですが、それを人生のバネにしたので、人間味のある俳句を残せたのでしょう。ある時深川の八幡神社のお祭があり、お祭好きな一茶は楽しみにしていました。そこへ継母から父親の年忌があると言って来たのです。継母との折り合いが悪かったので、法事は欠席しようと思っていましたが、「やはり父の七回忌だからお参りに行こう」と急に思い立ち長野へ行くことにしました。お参りの途中で偉い人が船に乗って通られると言うことで、それを見ようと大勢の人が橋に詰め掛けました。すると、その橋は重みで落ち数千人の人が亡くなりました。一茶はそれを聞いて、自分がこの事故に巻き込まれなかったのは、父と阿弥陀様の御加護だ、と思い尚一層信仰深くなりました。一茶は何に対してもプラス思考だったようです。コロナで今事業をされている方々はとても苦しいと思いますが、苦しい時程プラスの発想をして、神仏に感謝する毎日を送って頂きたいと思います。その行為が必ず物事を好転させて頂けると思います。合掌