節分の行事

神社やお寺では、節分に鬼払いとか厄除けや厄神送りと色々な名前で行事を行っています。聖法院では二月の第二日曜日に、皆さんの生まれ年別の守り本尊様を護摩道場に御降臨頂き祈願を致しています。これは聖法院独自のやり方ですので、一人でも多くの方に参加して頂きたいと思っております。

節分には豆蒔きをしますが、豆と言うのは魔の目を射るという意味や、魔を滅するという意味を持っており、悪の形をした鬼の目に豆をぶつけて目を潰す所から、豆蒔きが始まったと言われています。昔から人間は弱い所がありますので、見えない何かへの怯えや、見えない御神仏に心からおすがりする事が多くあります。私もこの道に入らせて頂いて44年経ちますが、全くの無信仰だった私が、今は皆様の悩み事を通して、御神仏や御先祖様と直接対話をしながら、不思議な体験を色々としています。目や耳からの情報は真実の何十万分の一しかないのですが、目で見たり感じたりする物しか信じない人々の方が多く、私達は本当に確率の低い物を信じて、右往左往しているのです。信仰をしていても、心が揺らいでふわふわと糸の切れた風船の様に、とんでもなく間違った方向へ飛んで行ってしまう方々が大勢います。信仰しているから辛い事が全く無いのでは無く、辛い事から一刻も早く逃れさせて頂けるのです。辛い目には遭いますが、苦しみの時間が短くなったり、辛さの度合いを軽くして頂けるのが信仰です。以前御神仏から、「悪魔や鬼は、本当は恐い姿をしているのではない」と教えて頂いたのですが、「一番親しくいつもやさしい親友が、何故信仰を妨げるのだろう。いつも良い人なのに、訳の分からない事を言う」こんな時は気を付けて下さい。悪魔が友人に乗り移っている事があります。その友人が悪いのではなく、人間の姿を借り、その人の口を借りて皆さんに悪を囁くのです。この様に悪魔は鬼の様な姿をしている訳ではありません。何を言われても、心が揺らがないしっかりとした信仰を持って頂きたいと思います。

2歳の男の子がある日、「お母さん、お煎茶はもういいから、ほうじ茶にしてほしいと御先祖様が言っているよ」と言いました。男の子はまだお茶の種類など分からない筈ですし、お茶もあまり飲まないのに、はっきりと言ったそうです。またある時、お母さんが仏壇に御飯をお供えして、そのお下がりを頂こうとした所、男の子が「お母さん、それもうちょっと待って、カチカチになる迄、置いてって言っているよ」と言うのです。普段はまだ小さいので何をしゃべっているのか分からないのに、その時だけははっきりと言うそうです。この事を考えると御先祖様はちゃんとお供えを飲んだり食べたりしている証拠です。

聖天様には毎日茹でた小豆をお供えしますが、ある時とんでもない夢を見ました。聖天様が自分のパンツを私の目の前で脱がれると、小豆がそのままの形で出ていると言う夢です。所が三日三晩同じ夢を見たので、もう一度炊いた小豆を見ると中まで火が通っていない、固くて歯が立たない硬さでした。聖天様が、「お前の供えた小豆はこんなに固いのだぞ。これを食べたらそのままの形で出てしまう」と教えて下さったのです。

あるご先祖様が「今日の七草粥は何時もより美味しいが、作り方が違うのか?」と聞かれました。施主の方が水を替えて炊いたそうです。又そうめんを供えたら「今日のは不味い」と言われました。その日だけ買ってきた汁で、いつもは自分で丁寧に出汁をとっていたのです。この様にご神仏にも先祖にもお供え物は届いている事が判明し、あの世が実在している証明にもなります。

合掌