自分の中の囚人
石川啄木の短歌に「人と言う人の心に一人ずつ囚人がいて嘆く悲しさ」という一首があります。啄木は岩手県の出身で、曹洞宗の日照山常光寺の息子さんです。娘ばかりでようやく男児の啄木が生まれたものだから皆が喜び、周りの人がちやほやして何でも自分の言うことは通るし、欲しい物は手に入る環境で育てられたので、社会人になり新聞社で勤務後、教職員にもなりましたが自分の思い通りにならない時は、上司と喧嘩をし、どこへ行っても勤まりませんでした。その時に 歌った詩には自分では分かっていてもどうしようもない自分がいる。人と妥協したい、この人とも仲良くなりたいと思っていても、何か変なプライドがあって、頭を下げることも出来なかったのです。自分が悪い事は十分分かっても安っぽいプライドや、素直になれない気持ちは、育てられ方にもあったと思います。
御神仏は、『世の中で一番不要な物は安っぽいプライドと世間体、それらが一番大切な人間関係を壊してしまう。もう一つ人間関係を壊すものは、その場の空気である。空気は人を生かしもするし殺しもする。心穏やかにする空気は良いが、最悪の場合は自分をも自殺に追い込んでしまう。肌を刺す様なチカチカとした空気ではなく、心が穏やかになる空気を一人一人が作る様に工夫をし、努力をしなければいけない。今の世の中は特に何か刺々しく、直ぐに怒ってしまう。この自然の恵みである空気と同化せよ、とまでは言わないが、その位の優しさと生き易い空気を作って欲しい。それが自分の人間関係を良くする。人間関係が上手く出来ている人は、神仏から見て人生の殆どが成功だと思う。財産を沢山残しても、あの人間には近付くまいと言われる様な、孤独な人は人生の失敗者だと思え』と説かれました。私達も良い空気をかもし出す様な人間になりたいと思います。
合掌