盗む事なかれ
今年はコロナ一色の大変不安な年でした。そんな中ご神仏のご加護と皆様の御協力のお蔭で無事に師走を迎えられたことを心から感謝致します。この一年コロナで人それぞれ色々な辛さがあったと思います。この世に生を受けた限り、どんなに苦しく辛いことが身に降り掛かっても決して逃げないことが肝心です。お釈迦様の法ではそれは生まれた時の約束であり、人それぞれの修行が決まっているからです。何によって決められるか?それは自分自身の因縁で決められるので、誰も恨むことは出来ません。その苦しみを乗り越えた先に少しずつ灯りが必ず見えて来ます。その結果ある程度は自分の思う様な人生になります。
毎年11月に行われる結縁灌頂(けちえんかんじょう)では五戒(ごかい)を授けます。五戒とは不殺生(ふせっしょう)、不偸盗(ふちゅうとう)、不邪淫(ふじゃいん)、不妄語(ふもうご)、不飲酒(ふおんじゅ)です。ある日お釈迦様に弟子が質問しました。「私は五戒を守っていますが、私が生涯守って行かなければいけない事を一言で教えて頂きたいのです」するとお釈迦様は、『汝、盗む事なかれ』とおっしゃり去って行かれました。その弟子は「自分は戒律を守って来たはずだし、まして物を盗んだ事など無い。これからも無いだろう。どうしてお釈迦様は盗むな、とおっしゃったのだろう?お釈迦様が間違った事をおっしゃるはずが無いから、自分で気付かない間に何かを盗んでいるのだろうか?」と考えたのですが分かりませんでした。ある朝の修法に、袈裟をしようと探したのですが見当たらず、「私の袈裟をどこかで見かけなかったですか?」と周りの人に聞いた時に、「私の袈裟」と言った時、お釈迦様は常に無我を説いておられたことに気が付いたのです。私達は如来様から肉体をお借りしているのですから、肉体は自分の物ではありません。「私はいつも自分の所有物だと思って盗んでいた。ああ愚かなことだ。この仏弟子である私でさえも授けられた五戒を守る事は出来ない。その愚かな私を大宇宙の中の素晴らしい地球に生かして頂いている。そして殺生をしてそれを食べ、様々な生物の犠牲の上で成り立っている、愚かな私をお許し下さい」と気が付いたのです。「仏弟子でさえ五戒を守る事は難しいのに、何故五戒を授けるのですか?失礼ですがお釈迦様は守れたのですか?」とお聞きしたらお釈迦様は、『五戒を授けなかったら皆好き放題にするだろう。それを授けられたと知りながら、これを食べなければ生きてはいけない、最低限度の物の犠牲の上に成り立っている感謝と、自分達は愚かな罪を犯していることを、常に自覚しながら生きて欲しいので五戒を授けるのです。どんなに賢い人でも、この世に生きている限り、皆罪人であることを自分で自覚して生きなさい。そして少しでも五戒を守れる様に努力をしなさい』と説かれました。『汝、盗む事なかれ』と一言お聞きしただけで、このお弟子さんの様にここまで考えられませんが、少しでも五戒を守る様に心がけ、こんな愚かな自分を生かして頂いているのだと日々感謝をして過ごして頂きたいと思います。合掌