自他を殺すもの

 仏教とは果てしない光の世界への導きである。そこは何人たりとも平等であり上下の隔ては全く見当たらず、心の最も休まる世界である。しかしある程度の規則はあるが、何人もその規則は全て自分の為だと思い、格別窮屈な思いではなく、ごく自然に受け入れられている。もちろん争いごとは一切なく、そこでの仕事は全て分担されており、静の世界でもあり、また動の世界でもある。そこは死後の世界へとつながり、不安は一切ない。ただし、この世界へは受け入れてもらえない人間がいる。

1.己自身を勝手に死に至らしめた者(自殺者)
2.善意の人間を意味なく、何のためらいもなく死に至らしめた者(殺人)

 これらの2項目に入るとよほど異例でない限り、光の世界に入る許可は下りない。この世界に入れない人間を救う道は唯一つ、現世に残っている人間が、この者達の為に供養し、この者達の為に己を捨て、世の為、他人の為に心身ともに打ち込む覚悟がなければ難しい。これが仏教界への入門であり、3年に一度の割合で神々が地獄を巡り、この者達を救うチャンスが与えられる。これは神々にとっても大変な荒行となる。小さな光を見出すことは簡単だが、その光を線につなぐことは非常に難しい。人間は光の点を見付けただけで有頂天になり、そこで気を抜き足踏みをしてしまう。そうならぬ様に小さな光の点は、全て線になり、やがては面になる様な努力が必要である。光の点を見つけた所で初めて禅門に辿り着ける。線になり門が開かれ面につながった時、初めて光の世界に入ったと言える。この光が即ち仏教世界の徳の現れである。そこまで辿り着いたら門の中に入り、光の世界に浸れる様に進め。途中で止まると引き返すのと同じであり努力も水の泡と化す。

合掌